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私のてつがく

私のてつがく

盛岡市で活躍する気鋭の農家の方々の思いや考え方を「私のてつがく」として紹介します。

2023年7月28日

VOL8 haruSaNa 新垣直也(あらかき なおや)さん

第8回は、盛岡市で新規就農した沖縄県出身の新垣直也さん(40)を紹介します。

◆ 沖縄から移住し、新規就農

 2020年に妻の出身地である盛岡市で新規就農し、ミニトマトを主に生産しています。主力品目はイタリア系ミニトマトのロッソナポリタン。真っ赤に濃く色づく縦長の楕円形で、生でそのまま食べても加熱してもおいしく、甘みとうま味が特長のミニトマトです。一般的な丸形のミニトマトや漢方薬の原料となる薬用作物も栽培しています。盛岡市と矢巾町の二カ所の計62㌃で、ハウスと露地の両方で栽培しています。

 生まれも育ちも沖縄で、那覇市の出身です。前職のJAおきなわで働いていた頃、東京にある農業団体から仕事で沖縄に来ていた妻(聡子さん)と出会い、結婚を機に妻の出身地である岩手に二人で移住を決めました。
 私は非農家出身ですが、移住にあたって、農協を通じて「食」を自ら作ることへの関心と組合員(農家)をサポートする側ではなく、自分が実践する側になってみたい、経営者になってみたいという気持ちが強くなっていきました。

◆選んだ品目は「ミニトマト」

 前職が農協職員といっても経営管理部署が長く営農経験もなかったことから、移住後、2017年から盛岡市の農事組合法人となんで3年間研修し、独立就農に向けた準備をしました。
 いざ、農業をはじめようと決意はしたものの、農地も施設も資金も何もない状態、さらには知り合いもいない、ほぼ全てゼロからのスタートでした。沖縄は水稲よりも野菜の栽培が多くなじみがあったことや経営の見込み収支などから栽培はトマトにしようと考えました。ところが、新規就農の相談先で「トマトはハウスがないと実が割れますよ、施設が必須です」と言われてしまいました。ない、ないのゼロの状態のため、どこからどうしようかと悩んでいたとき、露地でミニトマトを作っている大槌町の農家さんのことを知りました。現地に行って見せてもらい、露地栽培が可能なロッソナポリタンを主力品目として就農しようと決めました。

◆農地確保が最初のハードル

 いざ始めようと思っても、新規就農者にとって最初の大きなハードルが「農地」探しでした。栽培品目にめどをつけてみたものの実際に栽培する農地がなければ意味がありません。見つかったと思っても山奥だったり、水が使えなかったり、なかなか条件の良い農地が見つからずかなり苦戦していたところ、最終的に農事組合法人となんが管理する土地を借りることができ、なんとか自分で農業を始められることになりました。
 新規就農にあたっては国の認定新規就農者制度を活用しました。この制度は18歳以上45歳未満で新たに農業経営に挑戦する人を支援するもので、市町村が認定します。盛岡市の担当者と相談しながら5年後の所得目標を設定した青年等就農計画を作成して、その計画が盛岡市に認定されたので2020年4月にやっとスタートラインに立つことができました。

◆次の課題は人材確保

 品目も決まり、農地も見つかり順調にいくかと思いきや、農業はやってみないとわからないことだらけでした。自分の場合、師匠もいないのに独学でイタリア系ミニトマトの栽培を始めたので、ゲームに例えるならいきなり「ハードモード」を選んでしまった感じです。
 特にミニトマトは人の手による管理作業が多く、人手の確保が何より重要です。1、2年目は管理作業が追いつかず、せっかく実ったミニトマトを収穫しきれないこともありました。今では、アルバイトやパートさんに来てもらうことができ、年数を重ねるごとに体制が整ってきたと感じています。それでもまだまだ課題はあります。農業は天候に左右されるので、その日の天気によって作業内容や時間が変わることがありますが、アルバイトやパートさんをお願いしたからには仕事を用意しなければいけませんし、お給料も支払わなければなりません。家族内で労働力が確保される形とは違って、ここもまだまだ苦労をしています。

◆やっと自分のビニールハウスが!

 3年目に矢巾町にも農地を借りビニールハウスを建て、「何もない」ところから進んだ気がして「やっとまともなミニトマト農家になれた!」と思ったのですが・・・。実際には、はじめてのハウス栽培で高温障害に泣かされたこともありました。
 前職はデスクワークだったのでどうしても頭だけで考えがちでしたが、実際にやってみて失敗もありながらそこから学ぶことで、4年目の今はだんだん攻略方法が分かってきたというか、少しはうまくいきはじめているような気がしています。
 経営的にはまだまだこれからといった状況なので、だれか一緒に農業をやってくれる優秀な人、三国志で言うなら諸葛孔明みたいな人が現れないかな、と切に願っています(笑)

◆夫婦ユニットharuSaNaのミニトマト“haruSaNaのロッソちゃん”

 私が作るミニトマト(ロッソナポリタン)は、「haruSaNa(ハルサーナ)のロッソちゃん」という名前で販売しています。haruSaNaというのは、別の仕事もありつつ一緒に農業をしている妻との野菜農家の夫婦ユニット名です。「はるさー」は沖縄の方言で「農家」を指し、「Sa」と「Na」は、夫婦それぞれの名前の頭文字をとってつけました。
 「haruSaNaのロッソちゃん」というのは、私たちは愛着があるのですが一般の方からすると覚えづらい名前ですが、3年が経ってやっとリピーターも増えてきて、お客さんに少しずつ認知されてきた気がしています。

 初めてロッソナポリタンを食べたとき、「こんなおいしいミニトマトがあるのか」と衝撃を受けました。自分も誰かに驚きを与えるトマトを作りたい、そんな思いで日々取り組んでいます。実は、いろいろ大変でうまくいかなかったけど1年目の盛岡の農地のトマトの味が1番理想に近かった気がしています。ただし、量がとれなかったり、割れやすかったりと別の面で課題がありました。同じ場所で作っても、ハウスと露地では味や水分量が違ってきます。理想の味を求めて毎年、毎日が試行錯誤です。
 例年7月中旬から収穫しますが、今年は初めて早植えを行い6月に収穫を始めるなど新たな挑戦もしています。自然相手の難しさはありますが、だんだんと管理できるようになってきたと感じています。

◆6次化、ネット販売にも挑戦

 ロッソナポリタンの他にも一般的な丸いミニトマトも作っています。栽培早期から多収量が期待できる早生品種で割れにくい優秀な品種です。一方、ロッソナポリタンは水分の影響を受けやすく、変形しやすい面があります。変形しても味は変わらないので、ロッソナポリタンの甘みやうま味、適度な酸味という味の特徴を活かしてジュース加工を委託しています。ジュースは通常のトマトよりも甘みが強く、本当に「めっちゃおいしい!」です。ロッソナポリタンを使ったミニトマト100%ジュースの他に、haruSaNaが育てたニンジンと紫波町産のリンゴとのミックスジュースもあり、好評を得ています。ステーキナスや白ナスなど妻が気に入った味のイタリアン野菜も育てています。

 販売は、盛岡の産直や紫波町の日詰朝市や雫石の軽トラ市など、イベント販売にも参加しています。県外販売もしています。haruSaNaのネット通販サイトもあり、そこでジュースやharuSaNaのロッソちゃんと野菜セットも販売しています。直接、消費者の方へ届けることで、お客さんからの感想、「おいしかった」の声がやりがいにつながっています。

◆「何とかしてやろう」の思いで前に進む

 もし同じような形で農業に興味があって新規就農を考えている人がいたら、敢えていばらの道を進んでしまった自分からお伝えしたいのは、新規就農の成功の秘けつはその地域で推している作物を作ることだと思います。品目選びはめちゃくちゃ大事です。あとはその品目の先輩、師匠を見つけること。これ、本当に大事です。

 いばらの道でも1年目よりも2年目、2年目よりも3年目といった経験の蓄積と根気、そして「何とかしてやろう」という思いがあれば、何とか前に進むのだと感じています。逆に、その思いがなければ続かない。始めるのは簡単だけど、事業を継続するのは本当に難しいです。

◆うまくいかないと苦しい。でも、結構楽しい

 ミニトマトは管理作業が多く手間がかかりますが、水管理や土づくりなどどれも本当におもしろいです。うまくいかないと苦しいし、辛い。それでも少しずつ良くなってきている。そんな状況ですが、今年は今までがつらかった分、うまくいっている気がするので結構楽しいです。辛いときは何度もありましたが、続けるためには仲間がいることが大事です。今では栽培について聞ける方もいますし、自分は妻と一緒に二人三脚でできていることでかなり救われています。

 ない、ない、の状態から始まりましたが、少しずつ前に進んでいる状態です。生産管理や経営についてはまだまだこれからな面はありますが、夫婦二人とも自然が好きで、日々自然と付き合う難しさを感じると同時に面白さも感じていています。ですから、これからの夫婦ユニットharuSaNaの展望としては、私たちがつくる「食」をもっとたくさんの人に食べていただくことで、いろいろな方に自然に興味をもってもらえたらと思っています。

 

 

 

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