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私のてつがく

私のてつがく

盛岡市で活躍する気鋭の農家の方々の思いや考え方を「私のてつがく」として紹介します。

2023年2月1日

VOL7 肉牛の繁殖農家 嵯峨裕紀(ゆうき)さん

 第7回は、盛岡市門前寺地区で肉牛の繁殖農家を営む、独活倉(うどくら)畜産の嵯峨裕紀さん(37)を紹介します。

 渋民バイパス南口から南に車で数分、古くから畜産業が盛んな門前寺地区で、両親と従業員1人とともに4人で肉牛の繁殖農家を営んでいます。現在、母牛90頭、子牛50頭を育てています。

 母牛を飼育して子牛を産ませ、子牛を育てるのが繁殖農家です。子牛は300㎏を目安に8~10ヶ月ほど育て、毎月JA全農いわて中央家畜市場(雫石町)に出荷しています。若くて発育がいいと高く売れるため、発育状態を見極めながら早めの出荷を目指しています。

◆ストレスがない環境でゆったり育てる

 牛はつながず、自由に歩き回れるスペースを取った「フリーバーン牛舎」にしています。昨年秋に30頭規模の牛舎を手作りで1つ増やしました。壁がなく、ほぼ外のような環境です。頭数が多いので、飼養しやすいのと、牛にとってもゆったりと歩き回れてストレスがかからないのがメリットです。夏場は風通しがよく最高の環境ですが、冬場は牛舎に雪が入り込むので、除雪から一日が始まることも多々あります。

 餌は地域の稲わらと牧草です。新しく作った牛舎もそうですが、種付けや去勢、牛の蹄を削る削蹄、運搬なども全て自分たちでやっています。資材高騰が著しい中、地域資源を使い、自分たちでできることは自分たちでやることで、できるだけ低コストに抑えています。

◆盛岡の気候・風土に合った牛で勝負する

 フリーバーン牛舎でゆったり飼うようになり、発育状態がよくなり、子牛の形を褒めてもらうことが多くなりました。人気の産地から良い血統の牛を購入し、種牛として育てるやり方もありますが、うちは、血統はあまり重視していません。最後は気候や土地にあった自分たちが作った牛で勝負し、評価されなければ意味がないと思っています。試行錯誤を繰り返し、ここ数年でしっかりと評価されるようになってきたから言えることなんですけどね。

◆学生時代から思い描いた「規模拡大」

 私の家は、祖父が農耕馬から始めて、乳牛も飼っていましたが、父の代から黒毛和牛に転換しました。

 物心つく頃から、牛がそばにいました。餌やりもよく手伝い、牛が好きだったこともあって、自分も父と同じ仕事に就くと自然に思っていました。盛岡農高から県立農業大学校に進み、酪農業を学びました。卒業と同時に実家で就農しましたが、学生時代から就農後をイメージし、「どんな経営をしていくべきか」ということばかり考えていました。

 当初の頭数は10頭ほど。牛舎も1つしかありませんでした。就農してすぐに規模拡大を図り、学んだことを生かそうと早期の母子分離技術やフリーバーン牛舎を取り入れました。今からちょうど15年前のことです。

◆失敗から学んだ新たな飼養技術

 最初は失敗だらけ。フリーバーン牛舎を取り入れたものの、元々つないで飼養していた牛は歩いたことがないため、体の使い方がわからずに股を開いてケガをしたり、冬には寒さが原因で死んでしまったりしたこともありました。技術は学んできても、牛を見る自分の目が足りなかった。経験不足でした。そこから7、8年は試行錯誤の連続でした。その間、父は自分のやりたいことに文句を言わず見守ってくれました。今も感謝しています。

◆ICTも積極的に活用

 飼養頭数を増やす中で、分娩のタイミングが合わず、分娩や育成スペースが十分に確保できないことから、分娩事故が起きることもありました。そこでICT(情報通信技術)を活用した分娩監視装置を導入することにしました。親牛の体温を感知し、分娩するであろう24時間前に携帯電話に知らせが届くので、事前に備えることができるようになり、事故も少なくなりました。またフリーバーン牛舎にしたことで発情兆候もわかりやすくなり、受胎率も上がりました。飼養頭数が増えても順調に繁殖できるようになり、目標としている1年1産まであと一歩のところまできました。目標達成を目指してしっかりと管理を行っていきたいと思っています。

 今はSNSを利用して同年代で頑張っている同業者の情報も知ることができます。身近に仲間がいるような感覚で、さまざまな情報を得ることができ、刺激を受けています。環境が似ている北海道で精力的に頑張っている若手畜産家の方法を参考にするなど、常にアンテナは張るようにしています。

◆削蹄業でも地域の畜産を支える

 いま盛岡広域を中心に削蹄業も行っています。削蹄師の資格は学生時代に取得しました。牛舎の地面が柔らかい、硬いなど、牛舎の形態によっても削蹄する回数は変わってきますが、和牛は1年に1回、ホルスタインは2~4回削るサイクルです。県内ではベテランが引退しつつあり、削蹄師自体が少なくなっており、一人が担当する頭数が増えている状況です。いま20代の若者が一人、削蹄業を手伝ってくれていますが、今後は削蹄師の後継者育成も考えていかなければならないと思っています。

 後継者育成の観点からいうと、青年農業者への指導的役割を担う県の青年農業士としても活動しています。うちでは県立農業大学校の実習生を受けて入れているのですが、実習にきた学生がその後うちのやり方を気に入ってくれ、「ここで働きたい」と希望してきてくれました。彼もいずれは独立したいという夢があり、従業員というか研修という形で働いてもらっています。

◆地域の資源を循環させることが畜産農家の存在意義

 最終的には、年間100頭の出荷を目標にしています。今は50頭弱なので、倍まで増やしたいと考えます。規模拡大をするにつれて、地域とのつながりも強くしていきたいと思うようになりました。盛岡近辺では牧野が使われなくなり、閉鎖されているところも多くなってきました。もったいないと感じています。畜産農家はただ牛を飼って、たくさん出荷すればいいというものではないはずです。地域の稲わらや牧草を餌にすることで、畜産農家はコストも抑えることができる。そして牛の排泄物は堆肥にし、肥料として還元する。このように牛を飼うことで地域資源を回していくことが畜産農家の存在意義なのだと思います。

◆やりがいをもって、牛と向き合い続ける

  牛飼いの仕事にやりがいを感じています。それは何よりも牛が好きだからだと思います。若いころは牛をただ家畜として見ていたように思いますが、自分に子どもが生まれたことで、牛に対する見方も変わりました。牛も人間と同じようにそれぞれ性格が違い、牛同士でケンカだってする。手を掛けただけちゃんと育つのでとても面白いです。同時に、心から牛に感謝しています。

 いつかは、黒毛和牛だけでなく、短角牛などまた違った面白さのある肉牛にも挑戦してみたいですね。その時は食用まで育てる「肥育」までやり、直接消費者とつながる畜産をやりたいと将来を思い描いています。

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